今日は渚さんのこと少し書こうと思います。
よく聞かれるのよね。
「なんで床職人になったの?」って。
相手によって答えは変えてますけど
基本的な答えは「私は家の仕事やから。」
です。
渚さんが床職人になるまえは
渚さんのお父さん、弟のタカちゃん、にお母さんがごみ拾いでついていってました。
そんな頃、お母さんが怪我をし、脚を悪くしたのですが
仕事が忙しいお父さんにオファーされて雑用要員として
渚さんは床職人の道へと進んでいきました。
初仕事は
一週間毎日OAタイルの箱を1日中開ける
という仕事でした。
夏の暑い時期でしたので毎日1キロづつ減っていき
当時はとても細かったので毎日フラフラになっていたことを思い出します。
それでもお父さんとタカちゃんが貼っていく床がみるみる綺麗になっていくのを見て
「いい仕事だなぁ。」
って。
それでも当時は女性が床の職人になるなんてことはなく、渚さんも「手伝い」という気持ちで断続的についていってました。
そんな日々が続いた2年後
渚さんのお父さんは死んでしまいました。
残されたタカちゃんと渚さん。
そのあと、ほんとに、肩寄せ合って二人で協力してやって来たと思います。
渚さんが今、こーやって毎日床を貼れているのはタカちゃんと、滋賀県の内装屋さんたちのおかげです。
渚さんは女性ですので
偏見に悩まされてきましたが、それを払拭してくれたのもタカちゃんでした。
最初の10年は二人で悩み二人で努力し二人で乗り越えてきました。
当時メーカーの職人として他のたくさんのベテラン達と一緒に滋賀県の内装屋さんの仕事をしていましたが
頑張って仕事を覚えるごとに周りの職人さんたちに
『女は床屋になれないから早く辞めな。』
『女のクセに。』
などと言われることが多くなっていったと思います。
それでも、それをかばって一緒に貼ってくれたのもタカちゃんでした。
そして、滋賀県の内装屋さんのみなさんも
「女でもかまへんやんなぁ。」
「よーできるようになったなぁ。」
「うちの現場で練習したらええしな。」
と迎えてくれ、それに答えたいと思って頑張っていたと思います。
だから、今も渚さんは滋賀県の現場が好きなんですよねー。
タカちゃんとは、今でこそ一緒に仕事する機会は少なくなりましたが、仲悪くなったわけではなく、お互いに活躍する場が違うだけで、本当に困った時には必ず助けに来てくれます。
渚さんが大きな顔で
『女職人の草分けでっせ。』
ってやってる裏には助けてくれる存在が居たってことです。
そしてそれは
弟と滋賀県の内装屋さんのみなさんでした。
ってお話です。
では、今日もがんばろー!
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